twitterの診断お題 アラビア風パラレルで戦うラビアレ
夜の帳は深い紺色を帯びて、あたりを穏やかな闇で覆っている。
とはいえ、乾燥地帯に位置するこの地方の気候は生物にとって過酷な環境であることに変わりはない。日の光は肌を刺し、吹き荒ぶ風が砂を巻き上げ喉を焼く。日の沈んだ夜でさえ、昼の熱気をしつこく孕んでいる。
広大な砂漠にぽつりと存在するこのオアシスは、聞けばある時突然姿を現したというのであった。手持ちの地図は比較的新しいものであったはずだが、そこに記されているのは周辺と同様に『砂漠』の文字のみである。しかし、偶然この地を発見したという隊商からの情報に基づきオアシスの位置を特定することは、彼にとっては容易なことなのだった。そして、頭の中に描いた地図の通りに、この密やかな生命の楽園に足を踏み入れることも。
『彼』──便宜上『ラビ』と呼ばれている──は、オアシスの中心部にある建物へ忍び込んでいた。建物の所有者との面識はない。つまるところ不法侵入なのだが、それは彼自身の生業として時に必要な行為なのだ、と本人は言う。
足音を消して石畳の回廊を進む。乾いた空気は物音をどこまでも反響させ侵入者を拒むようだった。回廊に設置された灯火の数は少ないものの、今夜はやけに月が近く、あたりはぼんやりと仄明るい。ラビはもともと夜目の利く方でもあったから、昼間に見当をつけた道順で進むことに何ら支障はなかった。
この建物は真っ白な石材で造られており、触ってみた限りでは砂漠のどこから出てきたものかまったく不明であった。異国から取り寄せでもしない限り、この場に存在することはあり得ないように思えた。華美な装飾こそないものの、美しい白で統一された外観は、まるで城のようだった。或いは聖地のようだ、とも。それに、居住の用というには敷地の面積が広大すぎる。金持ちの道楽であろうか。
石畳の回廊は広い中庭をぐるりと囲んでいる。月明かりが白い石壁に反射してぼんやりとあたりの輪郭を浮かび上がらせている様は、幻想的な光景でもあった。
「…こんな時間のご来客とは伺っておりませんでしたが」
ちりん、と艶のある鈴の音色と共に、背後から涼やかなアルトが響いた。ラビはゆっくりと歩みを止め警戒を強める。他人の気配は全くしていなかったのだ。何故気づかなかったのか。
「…どうやってここに辿り着きましたか。そう簡単な道ではなかったはずですが」
ゆっくりと振り返ると、視界に現れたのはひとりの少年であった。軽やかな鈴の音の正体は、少年の右足首につけられた装飾品のようだ。彼がこちらに近づく度に、ちりんと音が響いている。
この少年には見憶えがあった。昼間にこの建物の下見をした時、外からも見える大広間で剣舞を披露していた少年である。
彼は、今も昼間と同じ衣装を身に纏い、剣舞の際に手にしていた大剣を背にしている。柄には細やかな銀の装飾が施され、刀身は大ぶりでありながらも重量を感じさせない優雅な曲線を描いている。傍目にもそれが高級な品であることが見て取れた。露出の高い衣装から見える彼の身体のラインは発育途中のそれでありながら、猫のような無駄のないしなやかさを持っていた。砂漠の地には珍しい雪のような肌、まるで人形のようなプラチナシルバーの髪。よく見れば銀の瞳がちらちらと月明かりを集めて瞬いている。出で立ちの線の細さは少女を思わせたが、彼を構成するパーツは中性的というよりはむしろ無性的であった。左の頬に縦に走る傷痕は何かの咒(まじない)であろうか。
昼間は他にも何人か着飾った者たちがいたので、旅の一座の踊り子なのだろうと思っていた。今夜はここに泊まっているのだろうか。それでは、先の科白はどういう意味か。
ラビは眉を顰めた。少年は始終柔らかい笑みを湛えたままこちらを見ている。まるで月のようだと思った。
「…ここには貴方の望むものはありませんよ」
「…俺が何をしに来てるか分かったような口ぶりさね」
「豊かな土地というのは噂や伝説を生むものです。そしてそれを狙う人間を寄せつけるのも、また。…そう、貴方のような、ね」
ゆるりと笑んだ口許は変わらないが、少し細めた瞳には獲物を射るような鋭さが灯っている。
「はじめからばれてたってか」
ラビは大仰に肩を竦めてみせ、溜息をついた。
突然姿を現したオアシスについて、砂漠から離れた都市に住む人々は様々な憶測を交わした。科学的、あるいは地質学的な観点から大陸の変異を唱える者もいた。しかし、学問に精通していない大衆の間では『何か不思議な力が働いたに違いない』とまことしやかに囁かれ、人々の好む方向に捏造が繰り広げられていく。そうしてラビの耳に届く頃には、『オアシスの白い城に生命を司る奇跡の石が眠っている』などと謳われていた。勿論それを鵜呑みにしたわけではなかったが、実際この地に踏み込んでみれば成程、目を見張るほどの神秘的な白である。何があっても不思議ではないような気配がしていた。
「…昼間、見ていたでしょう、ここを」
「背中に目玉でもついてんさ?よく見てるさね」
「貴方のような人が来るのは一度や二度ではありませんし」
それが僕の仕事ですから、と白い少年は続けた。ちりんと鈴の音が響いて夜闇に消える。
「…あんたは何モンさ? ただの踊り子ってわけにはいかねぇよな」
ラビは眼帯に隠されていない方の眼を細めた。銀の瞳と視線がかち合う。少年はあくまで優雅な笑みを崩さない。
「…ただの踊り子ですよ。まあ、少し剣が使えるのでこの家の番人を兼ねてるようなものです」
「中庭まで人を入れといて? こんなばかでかい城みたいな家、警備ぐらい雇えるんじゃねえの?」
「…これから貴方をこのオアシスの外に放り出せばいいだけのことですから」
「っはは! そんな細い身体で俺を砂漠へ放り出すってのか。どんな幻術さ?」
剣舞と剣術はまったく違う。それが分からないわけではないだろう。剣一本で自分をこの敷地から、それどころかこのオアシスから追い出すという。ふざけているのかと問うても、少年は変わらず穏やかな月のような笑みのままであった。
「何もないって言われると、逆に気になるんだけどな」
懐から、使い慣れた短剣を取り出す。優雅な踊りを舞うためのものではない、なまぐさい世界を生き抜くための武器である。相手が大剣であっても、この小さな刃で十分に戦える自信はあった。深い翠の瞳にぎらついた欲望の光がともる。
「別に何もなくてもいいんだけどさ、俺は。ちっとばかし人より好奇心旺盛なもんでね、ほんとのことが知りたいんさ。あんたは知ってるんだろ?」
おおかた自分は盗人とでも思われているのだろう。不法侵入するくらいであるから無理もないのだが、実のところラビは盗賊ではなかった。いわゆる『裏の情報屋』である。探究心旺盛な生来の性格も手伝って、こうして危険を冒すような旅をすることもたびたびであったが、ラビにとっては金のために情報を手に入れることよりも、知らない世界を見て回る喜びの方が重要だった。ついでに情報が“クロ”であれば高く売れるというわけである。『奇跡の石』とやらが実在するなら拝んでいこうか──それくらいの気分でいたのだが、今の興味はむしろ目の前の少年に注がれていた。
「この地は旅人の疲れを癒しはしても、浅ましい我欲に屈することはありません。僕らもこのオアシスに甘んじてのうのうと暮らしているわけじゃない。ここで生きる以上、ここを守る義務があるんです」
しゃらり、大剣の柄につけられた房飾りが揺れる。少年の身のこなしは昼間の剣舞そのものであった。優美な曲線を描いた大剣の先が、まっすぐに己へと向けられる。月明かりを受けて、刀身がきらめく。
「物盗りじゃねえから安心しなよ。つっても、やってることは似たようなもんだからしょうがねえか。なあ、剣(こいつ)で勝ったら教えてよ。
この家にあんた以外誰もいないのは何故だ?」
少年の瞳が一瞬見開かれる。向けられた剣先が揺らぐことはない。風で揺らいだ回廊の灯火が、銀の瞳に影を作る。少年が頭からかぶっているシルクのヴェールが緩やかにたなびいた。
「…あなたこそ、よく見ていますね」
「お褒めのお言葉どうも。ま、職業柄、ね」
「職業柄?」
ラビは口許を釣り上げた。赤い髪を括った長いターバンの裾を、深夜だというのに相変わらずの熱気を含んだ風が浚っていく。短剣の柄を握り直して、白い少年へと向ける。
いい夜になりそうだ。
今夜の獲物は、『奇跡の石』とやらよりも。
「なあ、教えてよ。あんたのこと」
そして剣は翡翠を映し